気まぐれ日記 05年5月
05年4月はここ
5月1日(日)「イタリア村遠征記・・・の風さん」
昨日の気まぐれ日記をアップした後のことである。少し書斎の模様替えをしたので、備え付けの小型掃除機でガーガーやっていたら、ゴ、ゴキの死骸が・・・あった。机のすぐ左下奥である。さわりたくないので、そのまま掃除機で吸い込んだ。茶色の丸っこいヤツ。書斎でよく出るゴキである。それから、階下との往復を何度かしている時に、玄関のタタキでペコが何かにじゃれついているのに気が付いた。電気を点けてよく見てみたら、靴の下からひげ状のものが出ていたので、(蜘蛛かな・・・)と思っていたら、にょろにょろと出てきた。全長10センチ以上はあるムカデだった! 「げ、げぇ〜!」と鳥肌が立ったが、躊躇していてはいけない。すぐさま、箒を持ってきて、玄関ドアを開け、夜のしじまの中へ掃き出してやった。あー、怖かった。
今日は、午後から雨になるという予報だったので、午前中にトレーニングに行った。また少し体重が減った。いいぞ。フルメニューをこなした後の結果は、血圧正常、肥満度が−2.8%、体脂肪率19.8%で、BMIが21.4だった。年初の体重から比べると、約2kgも減っている。これで、筋肉がついて体力が増せば、望ましい肉体になるのだが・・・。どうも筋肉も落ちているようだ。
夕方から名古屋港に出来た「イタリア村」にワイフと行ってきた。ほとんど土砂降りだったので、きっと空いているだろうと予想していたら、アテが外れ、駐車場はほぼ満車状態だったし、中もお客がたくさんいた。とにかく外は雨なので、メインの建物の中をチェックして歩いた。内外装ともに、いかにもイタリアといった雰囲気を出していて面白い。ショップもたくさんあって、眺めているだけで楽しい。これだけ色々なデザインの物が容易に入手できるのだから、現代人は幸せだ。今から20年以上も前だったら、本当にイタリアへでも行かないとなかなか手に入らなかったものだ。
空腹になったので、レストランに入ろうとしたが、いっぱいだった。それで、止むを得ず大きなレストランのディナーバイキングにした。90分間で2800円。ところが、45分でもうお腹がいっぱいになってしまい、なんとも、胃袋も老化してきたか、と情けなくなった。パスタはさすがに美味かった。
レストランは23時までやっているのに、ショップは21時で終わり。順序を間違えると、食後のショッピングはできない。今回はそういうことになってしまった。食後、再び雨のドライブとなり、22時半に帰宅。この次は、ゴンドラにも乗らねば。
5月2日(月)「三上(さんじょう)・・・の風さん」
一転して上天気となった。汗ばむほどでない今ごろの暑さなら、気持ちも高揚していい。次第に冬枯れていく晩秋の爽やかさがもっと好きだが、精神的には降下気味となるか。
先日、アイデア発想の温床として「三上(さんじょう)」を思い出した。鞍上(あんじょう)、枕(ちんじょう)、厠上(しじょう)である。
私自身は三上の中では鞍上が飛びぬけている。ただし乗馬の趣味があるわけではない。私の鞍上はミッシェルのハンドルを握っている時のことである。適度に神経が束縛されていて、余計な事をあれこれ考えられない状況の中で、一番気にかかっていることについて、集中的に思考できるらしい。寺田寅彦の『路傍の草』によれば、「肉体が束縛されているかわりに精神が解放されている。頭脳の働きが外方へ向くのを止められているので自然に内側に向かって行くせいだと言われる」とある。海に囲まれた半島という風光明媚な土地に住んでいながら、なかなか海岸線をドライブする余裕がない。しかし、アイデアに詰まったら、ミッシェルの幌を開けて、緑深い山が迫り、どこまでも白砂の海岸が続くワインディングロードを走ったら、きっと風に吹かれて108の煩悩も後方に払い落とし、まともな作品が書ける精神状態になれるかもしれない。
5月3日(火)「今ごろまだ花粉との戦い・・・の風さん」
今年の花粉症で少し利口になったこと。それは、室内の布製品が大量に花粉を吸ってしまうと、風呂に入って全身から花粉を洗い流そうが、抗ヒスタミン剤をばんばん服用しようが効果がないということ。そして、花粉症対策には室内の掃除が必須だということだ。
昨日はリビングの掃除機がけを徹底してやった。ごみセンサーがついているので、布地がほこりや花粉を吸っているかすぐ分かる。私がよく寝ていて呼吸困難になっていたソファのカバーや、枕にしていたクッションに掃除機を当てるとごみセンサーが赤く点灯した。「このやろめー」と叫びつつ、吸い続けた。さらに、ピアノカバーからカーテン、フローリングと戦線を拡大して行き、とうとうキッチン、ダイニング、サンルーム、玄関まで掃除した。終わった後の清々しい空気に感動した。
それで、今日は、トレーニングに行って帰ってきてから、寝室の掃除に取り組んだ。ここも、寝ていると呼吸困難になっていた死の淵である。掃除機を担いで、ベッドに上がり、上からがーがーやってみると、恐るべきことに、リビングと一緒。蒲団カバーからシーツはもとより、枕の裏表がとにかくすごい。やはり私は花粉にまみれて寝ていたようだ。また、カーペットの中は、掃除機でごしごしこするといくらでもホコリや花粉を吸い込むらしい。キリがなかった。
トレーニングに行ったりもしているが、ちゃんと執筆にも取り組んでいるからご心配なく。
5月4日(水)「自分の世話より他人の世話?・・・の風さん」
近所の図書館へ行くため、ミッシェルでちょっと走った。花粉もだいぶ少なくなってきたので、窓を開けて気持ちよく走った。ところが、窓を開けたら、今度は草いきれというか新芽やら葉っぱの匂いが強烈に鼻を刺激した。緑黄色野菜やハーブが大好きな私だが、これはちょっと臭過ぎる〜。
図書館で、装丁のきれいな『源氏物語』を5冊借りた。
実は、自分の執筆でてんてこ舞いのくせに、他人の自費出版のお手伝いをしているのだ。しかも2件も。
1件は、お世話になっている大学の先生のお母さんの『源氏物語』現代語訳である。4000枚を超える労作で、先生は親孝行のため兄弟でなさろうとしている。私も及ばずながら側面から支援している。自費出版をしてくれる出版社をあれこれ紹介したり、私自身も接触して聞いてみたりしている。また、出版に詳しい友人にも相談に乗ってもらっているのだ。その一環で、今日は、装丁の参考になりそうな本を借りてきて、自宅でスキャナーで読み取り、PDFファイルに変換して先生のところへお送りした。
もう1件は、新鷹会の関係である。亡くなられた直木賞作家のご長男の方と、ときどき手紙の交換をしていたのだが、今回、長谷川伸先生のあまり本になっていない作品に関する評論のようなものをまとめたので、自費出版なさると言う。原稿が出来ていて、出版社も決めてあるので、私は、著作権の許諾について仲介をした。あと、序文を依頼されていて、どうしようか検討中である。昨日、500枚近い原稿が届いた。
他人の世話を焼いているうちに、また新刊が届いた。辻真先先生の『津軽、殺人じょんから節』(実業之日本社 857円税別)である。量産作家のノベルスは、まるで月刊誌のように出版されてくる。
5月5日(木)「随分頑張ったゴールデンウィークだったけど・・・の風さん」
今日も素晴らしい天気だった。そして、今日こそ小説執筆のペースを上げようと、朝から頭をフル回転させた・・・が、ダメ。これだけ事実が積み上がっていくと、もう、認知症になりかかっているとしか考えられないな。人によって老化の速度はまちまちだから、年齢だけで判断はできない、もちろん、しかし、だ(かなり錯乱もしている)。
午後、ワイフの手伝いをした。ワイフは自宅でトールペインティングの教室を開いている。2年に1度、教室の作品展をやる。それが7月1日、2日とあるので、案内状用のハガキをデザインして印刷したのだ。他人の仕事の手伝いとなると、実に効率よくテキパキとやれる。みるみる出来上がっていくハガキを横目でにらみながら、自分の小説が進まないことに無性に腹が立った。
夕方、トレーニングに行った。小説を書くためにも体力は必須である。だから、このゴールデンウィークは1日おきにトレーニングに行くことに決め、見事実行できた。しかし、はたして体力がついたり、柔軟性が増したかどうか、大いに怪しい。とりあえず、今日の結果、血圧は正常、肥満度が−1.7%で、体脂肪率は18.8%(見た目より体脂肪が多いですね、とトレーナーの女性に指摘された・・・がっくり)、最後にBMIは21.6。
SPAM MAIL KILLERの禁止リスト(件名や送り主、本文に含まれる語句のこと)を充実させてきたので、アウトルックエクスプレスで受信する迷惑メールが著しく減ってきた。日本語の迷惑メールはかなりブロックされている。これからの課題は、英文のメールである。
5月7日(土)「背水の陣・・・の風さん」
昨日からの雨が、スランプから脱しきれないスポーツ選手の気持ちのようにまだ少し残っている。
昨夜は、GW中のトレーニング疲れもあってか、夕食後にダウンした。午前零時過ぎに起き出してから焦り、靄のかかった頭で、とりあえず知的作業ではない雑用を午前3時までかかってやった。終わった。
私の絶不調は、スランプなどではない。認知症の疑いはあるが、そう言って逃げていても始まらない。とにかく、真っ向から執筆に取り組んでみるしかない、と判断し、今日は何度目かの挑戦をした。
実に久しぶりに執筆をしている感じがした。本調子ではないにしても課題が見え隠れしながら、それを解決すべく、思案をめぐらして書いていく感覚。それが長時間にわたって戻った。その結果、原稿が大きく進んだわけではないが、何が障害になっているか、一つ見えたものがあった。これを何とかしないと、これからの執筆ペースは以前と全く変わらない。私は遅筆で寡作の作家などとうそぶいていても、誰も同情はしてくれない。やはり量産作家を目指す気概で取り組まないと。
深夜になり、本当の執筆疲労が私の頭脳にたまった(気がした)。
5月8日(日)「楠木さんの新刊に驚く・・・の風さん」
昨日とうって変わって快晴だ。今日は超忙しいぞ・・・と力こぶを入れていたら、またまた量産作家から強烈な励ましの新刊が届いた。楠木誠一郎さんの『日本史 世界史 同時代比較年表』(朝日新聞社 1200円税別)である。タイトルを見ただけで分かった。でも、これって、時代作家の手の内を暴露しているようなものじゃない? 思わずそう叫んでしまった。時代小説のアイデア発想の一つとして、同時代に、全く違った場所で起きたことを比較してみる、ということはする。世界規模でやれば、この楠木さんの本のようになるが、国内でもいい、昔は、同時代に生きていた有名人は必ずしもお互いに知ってはいなかったのだから。ところで、楠木さんの本の中身を少しだけ紹介しておこう。これは単に世界史年表と日本史年表を重ねたものではない。表外のエピソードというか、コラムが楽しい。たとえば「倭の奴の国王の使者が金印を授けられていたころ、皇帝ネロが母親を殺害していた!」「新選組が結成されたころ、リンカンがゲティスバーグ演説」なんて具合だ。
昨日のように朝から執筆三昧というわけいにはいかなかった。午前中に雑用(1)、昼から名古屋市博物館へ出かけ知人の油絵を鑑賞、図書館へ本を返却してから(ここで奇妙なものを発見。下の写真参照)トレーニング。今日の結果は、血圧はまあよいとして、肥満度−2%で体脂肪率が19.9%、BMIは21.6。帰宅後入浴して、ついでに風呂洗い。さらに夕食前に雑用(2)。夕食後も雑用(3)をこなし、最後にやっと執筆の続きをして、今夜は早寝。
←図書館の芝生でデコイの真似をする生きた鵜!
5月11日(水)「日々チャレンジ・・・の風さん」
勤務先の建物の周囲にはつつじがたくさん植えてある。桜の季節が過ぎると、つつじである。これが日ごとに色とりどりの開花が進む。華やかであればあるほど、月日の移ろいを感じてしまうのは、人生設計に常に軌道修正を強いられている私の宿命か。そうは言っても、私の悩みなど、この地球上で起きている様々の問題に比べれば取るに足らないものだ(また大げさな表現だが)。
ウィークデーも毎日が戦いである。それでも今週は、ゴールデンウィーク中に蓄積した体力(?)を生かして、元気に前向きにやろうと月曜から立ち向かった。
月曜日は、老化した心身にムチ打って、まず職場では現地現物という方針で、積極的にオフィスから出た。若干虚勢を張った感はあるが、まずまずやれたと思う。退社後は、予約していた歯科医へ。今日こそ最終回かと思いきや、不良患者である私は、また1ヶ月後に来ることに(目をつけられている)。それでも、帰宅したら早く執筆を、と思っていたのだが、予定外の手紙が舞い込んでいて、その返事を書いているうちにエネルギー切れとなったため、思い切ってさっさと寝た。
・・・にもかかわらず、火曜日は早起きできなかった。それでも、疲労はすっかり取れていたので、この日も会社ではかなり頑張れた。ボケた頭脳でも、懸命に行動すれば、何とか体力でカバーできる。昼休み中に出版社に久しぶりに電話して、無沙汰を詫びるとともに、近々会う約束ができ、少し胸の中の荷が軽くなった気がした。ところが、続けてケータイでメールチェックしてみたら、問題のあるメールが自宅に届いていることが判明した。少し帰宅が遅くなったこともあり、トレーニングは中止して、その問題対応に取り組んだ。新鷹会の理事としての仕事である。資料作成をし、返信メールを送り、某先生にファックスを送ったところで、また夜が更けきった(笑)。執筆挽回できず。
つつじが目に眩しいほど咲いている中、水曜日の出勤を果たした。今日も頑張ろうと階段を元気良く上ってオフィスへ。
午前中の会議では、ここ数日心がけているように積極的に発言した。やはり気合が入ればちゃんとした指摘ができるな、と心中満足しながら会議を終えたが、後で冷静に考えてみたら、自分の指摘は技術的に正しかったのか、やや不安があることに気が付いた。元気を維持するために少々間違っていても発言していくべきか、間違った発言によって周囲に迷惑を及ぼさないように自重すべきか、悩める初老の風さんであった。
今夜こそトレーニングに行こうと帰宅したが、ミッシェルを降りて家に入った瞬間、かなりの疲労を感じたので中止。案の定、夕食後、ソファでダウン。・・・午前1時過ぎに、この日記をアップしようとしている。
5月13日(金)「頑張り過ぎたか・・・の風さん」
わー、13日の金曜日だ。でも、仏滅ではない。仏滅は明日、あ、し、た。
今週は、ほとんど気まぐれ日記を更新できなかった。どういう1週間だったかと言うと、かなり会社の仕事に集中した1週間だった。久しぶりに頭も体も使った感じ。でも、成果がどれだけ出たかは、自分では評価できない。自己満足感だけは残ったから、とりあえず「よし」としよう。
これだけ頑張ったら、あとは執筆しかないぞ。しかし、執筆には体力が必要。ところが、その体力・・・せっかくGW中に蓄積した体力を消耗してしまった気がする。今週はトレーニングにも行けなかったし。
肉体といえば、霰粒腫。来週切開を予定しているが、最近かなり目立たなくなってきた。
「それでも切るの?」(ワイフ)
「あと一息がなかなか治らないのがうっとうしい。だから、切る、ずばっと」(私)
「キャー、私だったら、もうやめるわ」(ワイフ)
「それと、切開するためには会社を休まなければならない。それがうれしい」(私)
「???」(ワイフ)
「切開の次の日は、最近痛くてかなわない頚椎症(けいついしょう)を診てもらうため、整形外科へ行く。それも会社を休めてうれしい」(私)
「あなたは、私の理解を超えているわ」(ワイフ)
「会社を休むためなら、肉体を犠牲にしてもかまわない」(私)
「普通じゃない」(ワイフ)
「会社へ行けば、ついつい頑張ってしまう。そんな自分の性格が呪(のろ)わしい」(私)
明日は特別の用事もあって上京し、翌15日は勉強会である。久しぶりに東京泊だが、執筆に専念する予定。
おにぎりとパンの生活が始まる・・・。
・・・ここで入浴して、出てきたら、
「キャー!!!」(ワイフ)
「おい、どうした?」(私)
「ムカデが出た!」(キンチョールで攻撃するワイフ)
・・・見れば、先週出た10センチはあろうかという大ムカデだ。
「そんなものでムカデは殺せない」(私)
「もうすぐ死ぬわ」(鬼気迫る表情のワイフ)
「普通じゃない」(私)
5月14日(土)「東京でも執筆。後がない風さんの巻」
1週間の疲労がたまったままの上京となってしまった。
正午過ぎに東京駅に着いた。途中はひたすら睡眠を心がけ、何とか体力回復をはかったが、まだ体が重い。頭痛までしてきた。つくづく無理が利かなくなってきたな、と感じる。しかし、しょげていても仕方ないので、表面上は空元気を見せることにしよう。
今日の最初の目的は、自費出版のお手伝いをしている大学の先生と、長年編集に携わってきた友人を面会させることだった。この自費出版は、『源氏物語』の全訳であることを始めとして、相当ハードルの高い仕事になるため、私としては無責任なことはできないと、ことの発端からかなり覚悟を決めつつ慎重に対処してきたつもりである。そのひとつのヤマ場が今日だった。
幸い、ベテラン編集の友人が懇切丁寧に解説してくれたので、先生には有益な情報が提供できたと、私は大満足であった。
2時間ほどの打ち合わせを終え、先生と別れた後、友人とさらに1時間ほど反省会をやった。
その後、今夜の宿となるホテルにチェックインした。事前にコンビニで食料を調達したのは言うまでもない。
やはり疲労が取れていないので、2時間ほど仮眠し、コンビニ弁当で夕食にした後、執筆を開始した。もともと今夜は、別の友人と一杯飲む予定だったが、先方の都合が悪くなったので、執筆に専念することにしたものである。
疲労が残っている中、休み休み執筆を続けた。資料調査をしない、こういうやり方の方がペースが上がることは先刻承知だが、確かに、疲れていても、少しずつでも、書き進めていくことができた。それでも、わずか10枚ほどだが、満足した。
5月15日(日)「新鷹会の手伝いと自分の問題と・・・の風さん」
普通に起床し、カーテンを開けると東京だった……じゃなくって、曇り空だった。静かな、日曜日の東京である。都会の真ん中でも犬を散歩させている人が、12階の部屋の窓から見えた。
チェックアウトする前に1時間ほど執筆の続きができた。昨日のペースはまだ維持できている。この調子が大事なのだ。
新宿へ出、デパートでウィンドウ・ショッピングをしてちょっとだけ目を肥やしてから、代々木八幡へ向かった。
勉強会開始前の1時間、理事会をやって、来月24日(金)の「長谷川伸の会」の打ち合わせをした。これまで伊東昌輝先生におんぶにだっこだった内容を、少し分担するだけで、打ち合わせ項目は格段に増える。当然のことだが、長く新鷹会を維持しようとするならば、避けて通れない試練である。不出来な会員の私としては、2年前から志願して色々とお手伝いしているが、あと1年は頑張ってみるつもりだ。それから先は、自分の人生とそのときの新鷹会の状況を見て、判断する。第一は、私自身のことであり、私が作家として落魄しているようなら(あるいは成長が望めない状態だったら)、会に迷惑をかけるだけなので、身を引くこともあり得る。なぜなら、はるばる愛知県から間抜け面をぶら下げて何年も東京まで通ってくるなんて、いくら私でも耐えられない。交通費だけで往復2万3千円くらい、もっと貴重な時間で言えば、往復7時間以上も毎月かけているのだ。
勉強会では、今日も可能性のある良い作品が読まれた。喜ばしいことだ。私も自作を持ってきて読めるようになりたいと今でも思う。それと自らの意志で勉強会に出席してきた若者がいて、非常にうれしかった。もし来月以降も来てくれるなら、私が新鷹会にいる限り支援してあげたい。
途中で激しい雷雨があって「風さんは雨男ね」と囁かれたが、なんとか止んでくれた。
自分のことで必死にならねばならない私は、今日も2次会は失礼してさっさと帰宅した。
帰りの新幹線の中でもパソコンのアシュレイを取り出して仕事をした。ちょっと脱線して、この二日間の食費を計算してみたら2000円ほどだった。しょぼい〜!
5月16日(月)「気のいい風さんの巻」
昨夜の就寝が遅かったので、会社では午前中でパワー切れとなった(笑)。
『源氏物語』全訳自費出版の件、先生が基本的に友人を編集者と決めてくれたので、本当に一段落となった。これからは私は変な介入はせず、先生と友人とで詰めていってもらう。私の役割は終わったのだ。
今年、『電通報』に原稿を書かせてもらったが、その後、編集者から、ユニークな学者を紹介してほしいという依頼があり、某大学の数学の教授を推薦してみた。幸い、編集者が、「この人だ!」と思ってくれて、話はとんとん拍子に進んでいた。それが、掲載になったという。めでたい話だ。
自費出版のサポートをもう一つ抱えていることを先日書いたが、某作家の企画を某出版社に売り込む、ほんの橋渡しを先日している。うまくいってほしいが、現在、進展を把握していない。
どうも今年は他人の世話ばかり焼いているようだ。
今夜も、新鷹会の理事としての仕事などで、就寝が午前2時を過ぎた。やれやれ。
5月17日(火)「9日ぶりのトレーニング・・・の風さん」
空は晴れ渡っていた。気持ちは少し霞がかかっている。
午後、ミッシェルで名古屋へ出張し、そのまま帰宅した。
9日ぶりにトレーニングに行くことにした。やはり体重が増えていた。絞らねば。目一杯汗をかき、トレーニング後の数値は、血圧はまあいいとして、肥満度がいちおう−0.7%、体脂肪率18.6%でBMIは21.8。専属トレーナーからCDのコピーを作って欲しいと頼まれた。イヤと言えない風さんは、「いいですよう〜」。軽いなあ。
夕食前に、超スピードで雑用を片付け、夜の執筆に備えた・・・が、お腹が一杯になったら、眠くなり、ソファでダウン。そりゃそうだろう。二日連続寝不足のところへもってきて、9日ぶりのトレーニングに行ったのだもの。
途中で目が覚め、つい左足のつま先を伸ばしたら・・・左のふくらはぎが、・・・つった。痛っ! ケンケンしながら救急箱を取りに行き、トクホンチールを塗って応急処置とした。
午前1時にメールチェックして、今夜は寝た。
5月18日(水)「人生ままならない・・・の風さん」
夕べはたっぷり寝たので、睡眠はバッチリ。トレーニングも適量だったらしく、少し筋肉痛を感じた。とにかく元気に目覚めた・・・と言っていい。今夜こそ元気に早く帰宅して執筆だ。
出社したのが間違いだった。午前中からトラブルに巻き込まれ、ほとんど一日中会議室。あっと思ったら、もう9時直前。慌てて帰り支度。
ミッシェルの中から「今から帰るよ」メールをワイフに。今夜は、ワイフは子供の保育園時代の母の会グループの飲み会で、終わったら駅まで迎えに行く約束だった。メールを送ってしばらくしたら、もう返信。「そろそろ終わりそう」だって。急げ! ミッシェル。
帰宅して着替えていたら、「帰る」コール。夕食を摂る間もなく、ワイフのお迎え。アッシー君だ。
再び帰宅して、やっと夕食にありついた。
そんなこんなで、今夜も執筆どころでなくなった。
5月19日(木)「普通のサラリーマンに戻った風さんの巻」
1ヶ月前にやっと予約できたにっくき霰粒腫(さんりゅうしゅ)切開の日である。午前中は会社に出て、昼早々に退社。電車で名古屋のかかりつけの眼科へ行った。
10人近い眼科医師を抱える大きな病院である。呼ばれて痛み止めの目薬をさした後、医師の診察を受けた。2月にも一度診てくれた医師である(私の主治医は院長だが、都合によって他の医師に回されることもある)。それでも、さすがプロ、カルテを一瞥(いちべつ)しただけですぐに思い出してくれ、「まぶたの裏側のポリープは吸収されましたね」とひと言。何度もやりとりがあって、結局、切開は延期となった。理由は、残っているまぶたの腫れが化膿ではなく炎症なので、いま切開をしても血は出るが膿が出ない、つまり原因の除去にならないからだ。納得した。
炎症を抑えるために新たにステロイド系の軟膏が処方された。また、これまでもらっていた抗生物質の点眼薬も念のため種類を変えて継続することになった。効果があるなら、1週間程度で現れるとのことで、また来ることになった。
それで終われば何の変哲もない1日だったろう。ところが、そうは問屋が卸さなかった。
帰りの電車の中で、ケータイが不吉な振動をした。
メールで、開くと、職場の大ピンチが書かれてあった。
今日、切開となったら、しばらくミッシェルの運転は不可だし、夜はPTA委員会、明日は最近痛くてかなわない頚椎症(けいついしょう)の診察を受けようと思っていたところだったが、すべて御破算となった。
いったん帰宅して、着替え、有料道路を利用して職場へ急行した。午後7時に着いた。
(ここからは企業秘密なので省略)
退社は午後11時を過ぎ、途中、部下からのケータイ連絡にも対応し(もちろ路側に停車し)、帰宅は午前零時を過ぎた。
シャワーを浴びてから、ようやく夕食(イタリアの夕食でもこれほど遅くはないな)。
またまた新刊本が届いていた。辻真先先生の「伊豆・踊り子列車 殺人号」(光文社文庫 476円税別)である。「津軽、殺人じょんから節」(実業之日本社)が届いたのは、つい先月のことではなかったか。また、知り合いの数学の教授に寄稿していただいた「電通報」も届いていた。読ませてもらうと、「数学は美しい」「数学の記号は言語」といった、先日、京大の先生がおっしゃったことと共通している。また、新鷹会の関連のファックスが届いていた。来月開催される第42回長谷川伸の会における、長谷川伸賞および池内賞の受賞者の経歴である。チェックすると、原案から抜けている重要な記述があった。
リビングにはマイルス・ディビスのジャズトランペットが静かに流れている。
フランスパンとチーズ、ワイン、オリーブの油漬け、湯葉入り野菜サラダ、蛸のマリネといった洒落た夕食を夫婦で摂った。とても深夜とは思えない、もちろん大トラブルから帰宅したサラリーマン亭主とその妻の会話とも思えない、ひとときだった。このときだけは、超現実、非日常、異次元の世界である。
明日も、亭主は職場のトラブル対応に駆け回る。ごく普通のサラリーマンの生活だ。
5月20日(金)「ゴキ・ハンター・ペコの巻」
今日もサラリーマンに徹した会社生活だった。
帰宅したら、ペコが走り回っていた。
「うるさいヤツだな」
「今日はペコちゃんとってもお利口さんだったのよねえ」とワイフ。
「なんだい? どこかから札束でもくわえてきたのかい?」
「違うわよ。2匹もゴキブリを捉まえたんだから〜」
「にゃにい? もう出たのか?」
「1階の洗面所で1匹。2階の@@(長男の名前)の部屋から出てきたのを1匹」
(ゴキブリ館だな、俺の家は・・・)
「そうかあ、ムカデを2匹も追い出した実績はダテじゃなかったわけか」
食卓についたら、修学旅行へ行っていた長男のお土産がのっていた。新撰組デザインのTシャツ。おい、こんなの外じゃ着れないぜー!
5月22日(日)「再びやる気が出てきた風さんの巻」
昨日は気持ちよく晴れ渡っていたのに、今日は一転して雨模様。こういうときは気持ちも憂鬱になりがちだが、幸い、昨日たっぷり休養をとったおかけで、今日は元気。体力が回復すると、気持ちも前向きになるから不思議だ。目の前の課題は山積しているが、とにかくぶつかっていこうと思い、次々に突進計画を立てた。あとは実行するのみだ。これから毎日過密スケジュールが続くぞ。
雨が降っていて、少し躊躇したが、4日ぶりのトレーニングにも行ってきた。体力が大事。元気だったので、快調にプログラムをこなした。トレーニング後の数値は、血圧は「よし」として、肥満度−0.7%、体脂肪率18.0%、BMIは21.8だった。よっしゃー。
帰宅してから、父の経歴探索の続きをした。東京帝国大学農学部附属農業教員養成所があったという、駒場の確認である。渋谷から井の頭線で駒場東大前で降りるとすぐらしい。はたして、当時の面影は何か残っているだろうか。近いうちに現地確認しなければ。そして、エッセイにまとめて「大衆文芸」に掲載するつもりだ。
5月23日(月)「ミツバチの恩返しを期待する風さんの巻」
夕べは朝鮮人参とリキュールを飲んで、PSPでリッジレーサーを2レースやってから寝た。平和な就寝。
また、怒涛の1週間が始まった。とは言え、月曜日はまだ体力はある。どうにか集中しながらトラブル対応した。
帰宅したら、例によって郵便物やらファックスやらわんさと届いている。こういうことも私が多忙になる原因だ。もっともその原因の原因を作っているのも、他ならぬ私自身だったりするのだが(笑)。
それにしても、頭の奥が痛い。首も痛い。ワイフに言わせると、「死ぬよ、きっと」。そりゃ、死ぬさ、いつか。人間の死亡率は100%なのだから。
夕食を摂った後、朝刊と夕刊を拾い読みし(朝読まないのがいけないのだが)、郵便物などをチェックし、それから、お手伝いしている自費出版の原稿を読みながらパソコンにメモをとり、ドーナツをデザートに食べた。ここまでで、帰宅から早2時間が経過している。そろそろ書斎へ行こうかとしていたら、ワイフが「わー、ハチ!」というので、飛んで行ったら、ミツバチみたいなのがピアノカバーにとまっていた。ティッシュでくるんだら、ビーッと甲高く羽根を振るわせる(あ、これ洒落になっています、はい)。サンルームから夜空へ逃がしてやった。ミツバチの恩返し、期待しています、はい。
頭痛薬を飲んだ。
来週福島へ帰るのだが、帰りの航空便が不思議なことにずっと満席だった。ワイフは「またヨン様が来るという噂でも広がっているんじゃない?」とのことだったが、とにかく毎晩キャンセルが出ないかチェックしていた。それで、今夜もチェックしてみたのだが、大量に空席が生じて、特割1も空いたので、それっとばかりに予約・購入した。早くもミツバチの恩返しを得た。確かにそうだ。飛行機もミツバチも空を飛ぶ。
よし。寝る前にやれるだけやるぞ!
5月24日(火)「東京雨男・・・の風さん」
今日は東京出張。会社でトラブルが連発しているので、少しは外の空気を吸った方がいいだろう。
しかし、朝から右の耳の奥が痛い。死ぬかも。
仕事は予定通り夕方に終わり、帰りの新幹線まで少し時間を残せたので、一昨日確認した駒場東大前まで行ける、と思った。ところが、喜んだのも束の間。外へ出ると雨が降っている。新聞でも東京の天気を確認しておいたのに、こんなのあり、か? どうも私は東京へ出てくると雨に見舞われることが多い。東京雨男だ。
仕方なく東京駅まで行き、そこから自宅へ電話した。「予定と違って早く帰れそうだけど、・・・」「ご飯ないよ」とワイフの冷たい反応。
中華弁当を買って買い直した新幹線に乗った。相変わらず、頚椎は痛いし、右耳の奥も痛いし、おまけに頭痛もしてきたので、頭痛薬を烏龍茶で飲んでから、弁当を食べた。それから、アシュレイを取り出して、執筆の続き。ストーリーを先へ進めるため、時代考証抜きで書き進めているのだが、慣れないことをするのはつらい。車窓を眺めると東京から遠ざかるほど天気が好くなる。なんなんだ〜? 名古屋へ近付く頃に気持ち悪くなってきた。
本当に早く帰宅できたので、今シーズン初めてプロ野球中継をテレビで見た。中日vs楽天である。まさか楽天に負けることはないよね? ・・・と、チャンネルをつけた時点で、1−3で負けていた。ほとんど見せ場もないまま、2−3で負けた。今年の阪神の優勝はこれで確定した(この深い意味は分かんねえだろうなあ)。
5月27日(金)「東京雨男の逆襲が返り討ち・・・の風さん」
昨夜は職場のトラブル対応で、帰宅が午前零時となってしまった。
今日は、名古屋出張だったので、しばし職場の混乱から身を遠ざけることができる、と喜んで出かけた。行き先が名古屋城近くで、昼食を摂ろうと、久しぶりに愛知県図書館に立ち寄った。ついでに歴史書をチェックしていたら、『江戸幕府 旗本人名事典』があり、知りたかった旗本の屋敷の住所が判明した。予定していなかった収穫で、うれしかった。さらに、近くの名城病院に入院している会社の同僚の見舞いもした。順調に回復してきてはいるが、2ヶ月程度の入院になるそうで、時間があるなら、と長編『怒濤逆巻くも』をプレゼントした。まさか病状が悪化することはあるまい。
出張ついでにあれこれ出来てホクホクしていた。火曜日の東京出張では、せっかく早めに仕事が終わったのに、雨に祟られて、予定していた駒場東大現地調査ができなかったから、その逆襲だと内心ほくそえんでいたのだ。
ところが、悪魔の囁きは昼ごろ突然やってきた。
神奈川県に出張している職場の同僚からのメールで、またまたトラブル発生を告げるものだった。出張先での仕事を終えて、これから対策のため会社へ戻るという。よくよく中身を聞いてみると、私の出番だった。
それで、名古屋出張を途中で退席し、いったん自宅へ戻った後、ミッシェルで会社へ向かうことになった。これは、まさに1週間前の再現だった。霰粒腫の切開のために電車で眼科へ行き、たまたま切開が中止になったため、いったん自宅へ帰り、またミッシェルで出社したことである。このときは、帰宅が午前零時になってしまった。
愚痴を言ったり、先の心配をしていても仕方ないので、とにかく6時過ぎに会社にたどり着いた。
・・・そして、帰宅は午前零時・・・より少し前だったが、明日も出勤になってしまった。やれやれ。
5月29日(日)「ケーキ9個のパワーはいつ? ・・・の風さん」
昨日は半日出勤のつもりが、結局フル出勤になった。日中はかなり気温も上昇したのだが、なぜかエアコンの作動が規制されていて、早くも夏本番を経験してしまった。それでなくても月日の経過が早いのに。愛知万博も15万人を超える入場があり、体調を崩す人が続出したらしい。これからは万博向きの気候ではない。
疲れて帰宅したので、自分のことをやる気力が残っていなかった。こういう時はワイフの手伝いをして、ご機嫌をとっておくに限る。今日、地元の会場でトールの体験教室をやるワイフのために、パソコンで名刺を作成してやった。
明けて、今日だ。まったく疲労が取れていない。こういう時は(また同じことを言っている)栄養補給が大事、とワイフとランチを食べに行き、「ケーキ食べ放題」というのにコーフンして、食後9個も(小さいけどね)食べてしまった。しかし、9個のケーキの効果がそう簡単に出るわけもなく、ぐったりしながら書斎に入り、パソコンを開いたとたん、同僚からのメールを発見し、そのまままた会社の仕事をしてしまった。
うーん。会社の仕事のピンチに対応しているうちに、またまた自分の仕事のピンチ脱出の機会を逸してしまった。どうする?
5月31日(火)「出会い系に捕まった・・・の風さん」
火曜日はトレーニングに行きたい日だった、先週は。それが、今週も行けない。なぜ行きたい日だったかというと、トレーナーの女性から「今度の火曜日に渡すから、CDのコピー作ってくれない?」と頼まれ、軽く「いいよー」と答えたにもかかわらず、先週は出張で行けなかった。そして、その後も会社のトラブル続きで、とても行ける状況ではなかったのだ。そして、今日も、時間的には行けないこともなかったが、精神的に混乱していて、やはり行く気になれなかった。そう。私はこれでも繊細な(?)芸術家のはしくれ(笑)。
突然、話題は変わって、迷惑メールの話。スパム・メール・キラーを導入してから、約1ヶ月、削除メールの数がぐっと減った。それはありがたいことだ。
スパム・メール・キラーを使用していて、だんだんこいつの仕組みが分かってきた。何のことはない、ひと言でいえば、アウトルック・エクスプレスのダブル・フィルターだと思えばいい。メール・チェックをしても、サーバーから消去しないという機能がある。これに目を付ければ、だいたい仕組みが分かる。第1段のアウトルック・エクスプレス(スパム・メール・キラー)で、メールチェックをする。読みたくないメールは、そこでダウンロードしてしまうのだ。読みたいメールというか削除条件に合わないメールは、サーバーから消去しない。そして、本来のアウトルック・エクスプレスが第2段となって、サーバーからそれらを受信するわけだ。
ところで、この1ヶ月間に、スパム・メール・キラーでどれだけのスパム・メールを削除できたと思います? 実は、ちゃんとカウントできるのだ。その数、270! 1日平均9通のスパム・メールである。そして、その内容は、ほとんど「出会い系」。この世界にしっかり登録されてしまっている。これだけサンプリングが多いと、インチキなのもはっきりと分かる。なぜなら、男性を想定したメールばかりで、女性を想定したメールなど1通も舞い込まない。にもかかわらず、どのメールでも、女性会員が多過ぎると主張している。
05年6月はここ
気まぐれ日記のトップへ戻る